シンボリルドルフが無敗で三冠を達成した時って競馬界の反応はどんな感じだったんですか?
回答
tnu********:
どんな感じと問われても答えにくいので、ミスターシービーとの比較で言う。
人気は圧倒的にシービーだったと思う。これは判官贔屓ではなく次の理由から。
①シンザン以来、待ち望んだ三冠馬が父内国産で、しかもトウショウボーイ産駒。
かたやルドルフは大種牡馬とは言え、忘れかけられた古いパーソロン産駒。
②ルドルフはそつのない競馬をしたけど、シービーは超個性的。騎手の吉永正人も
個性の塊だったのに対し、岡部はダーティなイメージ。
オレ関西人で、阪神ファンで、テンポイントの追っかけやってたけど、
野球界で例えるなら、ルドルフは張本、シービーは長嶋ってとこ。
たぶん東京人も同じ感覚を持っている人が多いと思う。
ルドルフのレースには感動が湧き上がらなかったけど、
シービーは感動溢れるレースが多い。
ルドルフのラストランは、なんか海外のしょぼいレースで、いつの間に引退したか興味もなかったけど、シービーのラストランになった春の天皇賞は見に行ったけど、泣けてきたね。
emperor_rudolf:
前年のミスターシービーに続いて2年連続の三冠馬、しかも史上初の無敗での誕生で大いに盛り上がったのは事実ですが、シンボリルドルフは中1週で行われるジャパンカップに出走することがほぼ決定していたので、日本競馬史上初の三冠馬対決実現で盛り上がりました。
ルドルフの和田共弘オーナーは、皐月賞と日本ダービーの二冠を制した時点では菊花賞よりもジャパンカップ制覇を重視していました。過去ジャパンカップは3回行われていましたが、日本馬が勝利したことはなかったので、和田オーナーはルドルフで日本馬の初勝利をあげたいと思っていました。前年1983年のジャパンカップ当日の2歳オープンレースにルドルフは出走していましたが、和田オーナーは東京競馬場に集まった世界のホースマンたちに日本にもこんな素晴らしい馬がいるんだと見せたかったので、2歳馬日本一決定戦の朝日杯には目もくれずにルドルフをジャパンカップ当日のオープンレースに使ったのです。
和田オーナーや野平祐二調教師の元へルドルフを菊花賞へ出走させて欲しいという競馬ファンからの要望が多々届き、当時は菊花賞からジャパンカップへは中1週の強行軍だったのですが、ルドルフは果敢に両方のレースを勝ちに行き、まずは菊花賞を勝って無敗三冠を達成したのです。続くジャパンカップではシービーには先着したものの、カツラギエースに敗れて残念ながら初の黒星を喫してしまいましたが、有馬記念ではカツラギとシービーを寄せ付けず史上初の3歳四冠を達成、年度代表馬にも選出されました。
※馬齢は現在の数え年で記載
u7d********:
前年ミスターシービーに続いての2年連続三冠馬誕生ということもありかなり期待感がありました。ミスターシービーのときよりもさらに順当なイメージがルドルフにはありました。当時は東京競馬場で観戦していました。