昭和の頃って、20年も騎手をやっていて通算150勝もできない…

昭和の頃って、20年も騎手をやっていて通算150勝もできないようなジョッキーが何でメジロアサマやトウショウボーイのような馬に騎乗して八大競走に出走ができたのでしょうか?


ベストアンサー

goh********:

まず、の置かれた環境が異なります。
現在のトップ騎手は、厩舎に所属しないフリー騎手が多く、厩舎に所属していても他の厩舎の馬にも積極的に騎乗します。そのため、年間700レース、800レースくらいに騎乗し、年間100勝以上するのは普通です。
しかし、1980年代くらいまでは、騎手はどこかの厩舎に所属し、その厩舎の馬を中心に騎乗します。また、調教師の側も、自分の厩舎の所属騎手を大事にし、基本的には自厩舎の馬には所属騎手を騎乗させていました。
そのため、トップ騎手の騎乗回数、勝利数は現在と比べるとかなり少ない数字になっていました。

1970年代くらいですと、年間50勝すればリーディングベスト5くらいに入れ、年によっては30勝くらいでもベスト10くらいに入れました。10勝台の騎手でも、中堅騎手くらいの立ち位置です。
例えば、50年前、1974年のリーディング5位の飯田明弘騎手は46勝。10位の岡部幸雄騎手は36勝。48位タイの久保一秋騎手、小島貞博騎手、清水出美騎手らは16勝です。
当時はそのくらい騎手の勝ち星が少なかったのです。

メジロアサマ、トウショウボーイに騎乗ということですが、この2頭は開業したばかりの保田隆芳厩舎に所属。
そして、騎乗した池上昌弘騎手は、保田厩舎の開業と共に保田厩舎に移籍し、保田厩舎の主戦騎手を務めていました。そのため、これらの馬の騎乗を任された、ということでしょう。

これは、他の馬にも言えて、池上騎手よりは勝ち星を挙げていますが、トウショウボーイのライバル・テンポイントの主戦騎手・鹿戸明騎手も通算284勝。
鹿戸明騎手は小川佐助厩舎に所属。そして、テンポイントもまた小川佐助厩舎の馬です。


その他の回答

miz********:

騎手の決め方が今と違ったからです。
エージェントなんかもいなかった。