ナリタブライアンは3歳でクラシック三冠+有馬記念を制し明け4歳の初戦で阪神大賞典を制してここまでは無敵という感じでした。
しかしこのレース後に股関節炎を発症してからはついにGIを1つも
勝つことが出来ずまるで馬が変わってしまいました。
ここで質問なのですが股関節炎を発症しなければ4歳、5歳であと何個GIを勝てたでしょうか。
回答
tok********:
間違いなくナリタブライアンが勝っていたと思ってます。
前哨戦の阪神大賞典のマヤノトップガンの叩き合いが「世紀の一騎打ち」のように取り上げられていますが、「4歳(現3歳)全盛期のナリタブライアンならマッチレースにならなかったろうな」と見ていてただただ悲しくなりました。(サクラローレルもマヤノトップガンも偉大だと思ってますし、97年のマヤノトップガンの追い込みは素晴らしいレースでした)
ナリタブライアンは、自身の競争能力の喪失、人間の都合により短距離G1に無理やり出走させられたり…引退後も後継馬を残せずにあっという間になくなってしまい古馬以降は悲劇の印象しかない。
しかし、全盛期に見せた、他馬よりも頭一つ低く沈みゴムまりのように伸び縮みするフットワーク、地の果てまで伸びるような末脚は未だに忘れることができません。
全盛期の強さと後年の悲しさ、これほどまでに心を揺さぶられた馬は他にいません。
- tok********
- G1ですが、春天と宝塚は取って海外で負けて引退という意見に同意です。
今思うと、あの伸びるようなフォームによって怪我を起こしたかと思うとこれも運命だったかもしれません。
ルーズショルダーで身を削って投げたヤクルトの伝説のピッチャー、伊藤智仁と印象が重なります、
tor********:
ナリタブライアンは故障さえなければ4歳時の阪神大賞典を勝った後に天皇賞と宝塚記念を勝ってたと考えます。
その後は海外に遠征しますが世界の壁に敗れると思います。
日本に戻ってからはジャパンカップ優勝、有馬記念ではマヤノトップガンにあと一歩及ばず2着と予想します。
ディープインパクトやシンボリルドルフのように5歳になってまで競馬は続けることはなかったでしょうね。
強いイメージを持たせたまま引退する道を選びます。
だからサクラローレルと天皇賞を争うことはなかったと思います。
もし故障がなければG1をあと3勝して合計G1は7勝してたでしょうね。
dan:
それがなければ
ディープインパクトのような成績を
残せたと思います。
サクラローレルにも
勝てた可能性が高いかと。
マヤノトップガンとの名勝負なんて
ケガをしてからの話です。