ジャパンカップを創設するにあたり、招待馬の選定基準でJRAと各国との意向に齟齬があり、なかなか実現しなかった経緯があるそうです。(wikipedia『ジャパンカップ』より)
その祖語とは、なにかご存じの方いらっしゃいますか?結局日本が折れたんかな?
予想、考察込みでもかまいません。
よろしくお願いします。
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1971年 ヨーロッパがグループ制導入
1973年 北アメリカでグレード制導入
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1981年 第1回ジャパンカップ開催
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1983年 国際セリ名簿基準書 第1版が作成(国際G1を初めて定めたと言って良さそう)
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1992年 国際セリ名簿基準委員会によりジャパンカップが国際GIに指定
回答
無気力P@ボカロP:
主にインドからの招待馬オウンオピニオンに関連することだと思います。
この馬は蹄鉄を付けなかったなど、他国の招待馬に比べてそのレベルではありませんでした。インド馬への衛生面での不安などの偏見も含めて他国の陣営からは嫌がられたみたいです。
ただ、インド競馬はイギリス統治時は英ダービーも走っていたダークレジェンドの遠征先となったり、現在ではパート2のレベルを維持するかなりレベルの高い国なので、たまたまインド競馬のレベルが低い時期に招待してしまったことも否めないです。
1152303339:
おそらく、単純にパート1の国に向けて「招待競走やるんで出てくれませんか?」ってのを呼びかけても世界の反応は「競馬二流国のレースでしょ?出る意味ある?」ってな感じで呼びかけに応じるところが少なかったんじゃないでしょうかね。検疫も当時はとんでもなく厳しくて、気軽に行ける国ではないでしたから。
それで賞金を高くしたり、それこそパート1国にこだわらず呼びかけて数を確保して開催にこぎつけて、という流れだったんではないでしょうかね。第一回にはインドからも参戦しているぐらいですから。
関係者の努力で開催にこぎつけて、当時は香港国際競走もなく、冬場に遊ばせるならいっちょ賞金でも稼ぎましょうか、って各国の1.5流(1流は国外に出ない。金より名誉。)がこぞって参加してくれる競走となり、国際G1に昇格、日本がパート1国になる礎になったんだと思います。
kiryu:
推測で申し訳ありませんが、ジャパンカップには世界に通用する強い馬づくりがしたいという意図がありましたから、「招待馬は各国の一流馬=各国のGI級競走の優勝馬に限る」にしたい日本と、それが認められない世界という感じだったんじゃないかなと思います。
もしこれが正しいのであれば第1回ジャパンカップはGI未勝利のメアジードーツも招待されていました(なんなら第2回には重賞未勝利馬も招待されていました)から、日本が折れたん形になるんじゃないかと思います。
- chimpenzee
- 創設から国際G1に認められるのに9年もかかってんだな~と。
なかなか認めてもらえなかったのはこの軋轢が原因だったんでしょうねぇ。