牡馬クラシックをすべて制覇した競走馬は、7頭います。
強さだけで言えば、現在競馬のディープインパクトやオルフェーヴル ナリタブライアンが最強だと思うのですが、後世に影響を及ぼした3冠馬のランキングだと、どうなるでしょうか?
そこで、1位~7位まで教えてください。
出来れば、理由も簡単に教えてくれたらうれしいです
回答
漢晋春秋:
こと「後世に影響を及ぼした」という点で考えるならシンザンが最上ですよ。当時のホースマンの誰もがその強さに驚き畏れ憧れて、「シンザンを超えろ」がその後の日本競馬界、日本馬産界の共通の合い言葉になったほどですから。
そうして強い馬を作り上げるための不断の努力や技術の向上があって日本競馬界のレベルは大きく躍進しました。その集大成として現れたのが「史上初の無敗三冠馬」シンボリルドルフです。20年の歳月を経て、日本競馬界がついに「シンザン超え」を果たした瞬間でした。
二番手はやはり、そのシンボリルドルフですかね。世界挑戦の夢を見させてくれた、その最初期の頃の馬。ただ挑戦するだけでなく、勝てるという希望を関係者やファンに抱かせたのもこの馬が初のはずです。
(海外挑戦自体はもっと前からあるし、ジャパンカップ創設はシンボリルドルフの生まれた年です)
ディープインパクトはその次ということになるでしょうか。競走成績も種牡馬成績も申し分ないものですが、まだ「後世に影響を及ぼした」とまで言えるほどの実績はありません。弥生賞のサブタイトルに名前が採用されたり、後継種牡馬や繁殖牝馬たちが子孫の枝葉を広げて行きつつあるので、もう20年ぐらいすればシンボリルドルフは逆転するかも知れません。
ただ、ディープインパクトの競走成績にしろ繁殖成績にしろ、その父サンデーサイレンスの影響を払拭できません。サンデーサイレンスこそは日本をパートⅠ国に押し上げた日本競馬界最高の功労馬であり、ディープインパクトはあくまでも「サンデーサイレンスの功績のひとつ」にしかなりません。
その他の4頭に関してはランキング評価を差し止めたいと思います。そもそも優劣を付けられるようなものでもないし、三冠馬というだけでも偉大な存在であるのにその中でランキングを取る意味を見い出せません。全頭を評価しようとすると必然的に最下位を設定せねばならず、それは栄えある三冠馬に対して失礼以外の何者でもありません。私は三冠馬という偉大な存在にはもっと敬意を払っていたい。
三冠馬とは存在するだけで後世に影響を及ぼすものです。話題になり、目標になり、夢になる。だからそれ以上を求めるべきではないし、求める必要もないのです。
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ディープインパクトのみだと思います。
三冠馬でチャンピオンリーディングサイアートップを取ったのはディープインパクト(8回)のみこれまで長期は輸入種牡馬ばかりだった日本の場産にとっては計り知れない貢献です。
希望的に二位オルフェーヴルこの後の産駒によります。
ライラックのような仔をバンバン出して凱旋門賞を取るような仔を出せば2位になります。現在では、ステイゴールドの後継なだけです。
引用wikipedia
日本ではランキング1位が特定の種牡馬に偏る傾向がある。例えば1950年から1999年までの50年間にランキング1位となった種牡馬を数えると、日本では16頭であるのに対し、北米では29頭、イギリスでは33頭が入れ替わっている。
かつて日本では内国産馬がランキング1位になることは稀だった。統計のある1924年(大正13年)から2007年(平成19年)までの84年間[1]で内国産馬がランキング1位となったのはクモハタ[2]とアローエクスプレス[3]の2頭、8年間だけで、頭数では22頭中2頭だけである(統計の計算の仕方によってはアローエクスプレスは1位ではなくなる。詳しくは別節を参照)。2008年以降、2019年まで12年連続して内国産馬であるアグネスタキオン、マンハッタンカフェ、キングカメハメハ(2回)[4]、ディープインパクト(8回)がランキング1位になった。2008年、2009年はサンデーサイレンスの直仔が上位3位を占め、2010年のキングカメハメハはサンデーサイレンスの仔ではないが、上位10頭のうち6頭までがサンデーサイレンスの仔、上位20頭までみても11頭がサンデーサイレンスの仔となっている。これは1995年から13年連続でランキング1位となっていた外国産馬サンデーサイレンスが2002年に死去し、その直仔が内国産種牡馬となって上位に台頭した結果である。なお、海外からの輸入が途絶えていた太平洋戦争期を除くと、かつてはリーディングサイアーの上位は輸入種牡馬(輸入競走馬を含む)に占められていたが、2009年から2015年[5]は7年連続で上位10頭全てが日本調教馬となった。
[1]^ 戦時中の1944年~1945年は公式な統計がない。
[2]^ 1952年~1957年の6回。
[3]^ 1980年~1981年の2回
[4]^ キングカメハメハは持込馬である。
[5]^ 2014年度 リーディングサイヤー(サラ系全馬)【賞金順】日本中央競馬会 2015年1月4日閲覧
このほか戦前の日本のチャンピオンサイアーについては諸説あり、1941年の1位はミンドアー、1940年の1位はレヴューオーダー、1934年の1位をクラックマンナン又はシアンモアとする説、1931,32年の1位をペリオンとする説がある。
Mr.R:
シンザン
シンボリルドルフ
ディープインパクト
オルフェーヴル
此の4頭が、日本競馬最強馬です。
後世に影響を及ぼした三冠馬ランキング
1位 シンザン
戦後初のクラシック三冠馬、日本競馬史上初の五冠馬(G I6勝も、宝塚記念は八大競走に入っていない)、日本のホースマンの誰もが、シンザンの様な、最強馬を育てる事を目標にしていました、現在、JRA重賞である、GIIIシンザン記念は、後の三冠馬オルフェーヴルも輩出しています。
2位 セントライト
日本競馬史上初のクラシック三冠馬、日本ダービーはレース史上最大着差(8馬身)で楽勝、1位同様、現在、JRA重賞である、GⅡセントライト記念からも、上位2頭の後世への影響力は大きいですね。
3位 ディープインパクト
競馬を知らない人でも、知っているという馬、種牡馬としても、8年連続で、日本のリーディングサイアー、2020年から、弥生賞は、弥生賞ディープインパクト記念となりました。
但し、前述の2頭は、重みが違いますので、3位に落ち着きます。
4位 シンボリルドルフ
日本競馬史上初、無敗でクラシック三冠を達成、日本競馬史上初の七冠馬でもあります。
シンザンと並ぶ最強馬に君臨、日本のホースマンの目標を叶えた馬です。
5位 オルフェーヴル
凱旋門賞2年連続2着、日本競馬界の悲願に最も近付いた馬です。
現在、存命中である、唯一のクラシック三冠馬、此の後、どれだけの影響を齎すのか、注目です。
6位 ナリタブライアン
クラシック三冠の合計着差は15馬身半、3歳時は、日本競馬最強馬の1頭でした。
其の、3歳時は、シンボリルドルフ同様、世界のホースマンが、舌を巻く程の最強馬でした。
7位 ミスターシービー
此の馬は不運にも、1歳年下のシンボリルドルフの存在があり、ランキングで最下位。
但し、シンボリルドルフより、競馬ファンに支持されています。