スロットで一番勝てた時期はいつ頃で、機種は何ですか?
回答
遊び人=最近はゴルフばかり:
ほとんど勝ち確で安定していたのは4.5号機ストック機をハイエナ専門で打っていた頃ですね。インターネットなども普及しきる前の話なので、知っている人間だけが確実に稼げました。
①閉店直前に狙い台(ストック機)の全ての回転数をメモする。特にアリストクラートの「巨人の星」など天井までの回転数が電源オンオフや設定変更などでリセットされない機種を中心にメモを取る。
②翌日、天井まで近い台があれば座り、無ければ設定変更で天国スタートの可能性がある「吉宗」などを中心にモーニング狙い。ひととおり朝一高確台をカニ歩いて取り切ったら前日メモしたリセットされないストック機を確認。当たり0で回っている台の回転数と前日のメモを合算(例えば前日500回転、当日400回転なら1200天井まで残り300回転)して天井に近い台に座る。「巨人の星」は設定①でも連チャン率70%超えのストック機なので解除すれば期待出玉はそこそこ取れる。解除ゾーン抜けで即ヤメ、次の台へ・・・
③一通り前日からの狙い台を取り切ったら、稼働が高い日は店内待機で通常ハイエナ待ち、稼働が低い日は家に帰って仮眠。また閉店前に店にきて狙い台をすべてメモ。
↑このループですね。単独稼働で半年で600万以上稼ぎました。その金で予備校代と大学の入学金を払い、大検取得後に大学に無事進学できましたので、プー太郎時代の私を救ってくれたのは4.5号機のストック機たちです。
- 遊び人=最近はゴルフばかり
- 瞬間風速ならコンチ4Xや金太郎など4.1号機で一撃3万枚とかを何度も経験しました。その当時はトータルではボロ負けで年間300万ぐらい負けて借金を背負いましたねw
スロットも人生も、いろいろと反省して手堅く期待値を計算するようになってから勝てる好転しました。楽しかったのは4.1号機時代ですが、しっかり稼いだのは4.5号機時代、安定した小遣い稼ぎとして私生活とのバランスも良く稼げたのは5号機リプパン外し(「りんぐにかけろ」や「スパイダーマン」など)の頃ですね。
スロマック:
クランキーコンドルが出てから
ハズシが浸透するまでの間が一番でした。
当時は信じられないほど高設定が使われており
ハズシも浸透するまでに時間がありましたので
座れれば勝てるような時代でした。
ハズシが浸透してからはほぼベタピンでの
営業になりましたが、コツコツ毎日打てば
トータルのプラスは望めました。
あきせ:
ゴッド凱旋の自分がデビューした月にその月は負けた記憶が二回くらいしかない。
一昨年だったかなぁ?
ウィルチャックウィルチャクソン:
自分はタコスロが発売当初の頃ですね。
裏モノ、タコスロ、ニューパル、クランコで立ち回ってました。
この頃はだいたい平均して40~50でしたね。
裏モノは、コンチIII、C51、VIGOR、ペガサスエクサ、ガルフ、リズム、パピードッグなど。
少なかったですが、ハナビ、サンダーの裏モノも車で30分の所にあったのでたまーに小突いてました。
個人的に沖スロの裏モノは苦手でした。
爆裂AT時代は、勝ち額は凄まじいですが負けも相当だったのであまり良い思い出はありません。
tomotan20181920:
4号機時代は機械割119%の6が普通に毎日使われるホールがたくさんありました
ガセイベントも多かったですが全台56確定!!!みたいな感じで実際はシマに5と6が一台ずつみたいな感じだったから今のどこ見ても1しかないわみたいな状況よりだいぶマシでしたね
朝イチ常連は全台56シマ無視して沖スロにダッシュしてましたからね!
まっさん:
4号機時代は目押しが何とかできる程度、知識もなくてあまり良い思い出は無いです。
5号機時代だと10年くらい前のA+ART全盛期。
強力な天井性能と設定問わず明確なART初当たりルートが確立されていた鉄拳2nd。
設定差がありすぎたレア役出現率と当選率の初代マクロスF。
設定は期待できないけどPDTによる一発狙いが出来たサクラ大戦3。
特に安定したのは鉄拳2nd。
「スイカ→高確→チャンス目」という順さえ引ければ明らかにボーナス確率が低設定でも勝てるレベルで甘かったなぁという思い出があります。
vvv********:
大勝ち出来たのは4号機のAT機全盛の頃でしょうね。大負けもやばかったのでこの時代には、郊外パチンコ店の近くには必ずといっていいほどフリーローンの無人契約機がありました(笑)
ですが、一番安定して勝てたのはクランキーコンドルと初代のルパンでしたね。
特にクランキーコンドルは目押しも簡単でフル攻略で①で104%とか有ったと思います。しかもモーニングとか有ったので二重に甘かった時代でした。
すみません、2号機や3号機を知らないのでその辺から打ってた人ならファイヤーバードとかペガサスとかの方が勝てた時代かもしれません
遊び人=最近はゴルフばかり:
ほとんど勝ち確で安定していたのは4.5号機ストック機をハイエナ専門で打っていた頃ですね。インターネットなども普及しきる前の話なので、知っている人間だけが確実に稼げました。
①閉店直前に狙い台(ストック機)の全ての回転数をメモする。特にアリストクラートの「巨人の星」など天井までの回転数が電源オンオフや設定変更などでリセットされない機種を中心にメモを取る。
②翌日、天井まで近い台があれば座り、無ければ設定変更で天国スタートの可能性がある「吉宗」などを中心にモーニング狙い。ひととおり朝一高確台をカニ歩いて取り切ったら前日メモしたリセットされないストック機を確認。当たり0で回っている台の回転数と前日のメモを合算(例えば前日500回転、当日400回転なら1200天井まで残り300回転)して天井に近い台に座る。「巨人の星」は設定①でも連チャン率70%超えのストック機なので解除すれば期待出玉はそこそこ取れる。解除ゾーン抜けで即ヤメ、次の台へ・・・
③一通り前日からの狙い台を取り切ったら、稼働が高い日は店内待機で通常ハイエナ待ち、稼働が低い日は家に帰って仮眠。また閉店前に店にきて狙い台をすべてメモ。
↑このループですね。単独稼働で半年で600万以上稼ぎました。その金で予備校代と大学の入学金を払い、大検取得後に大学に無事進学できましたので、プー太郎時代の私を救ってくれたのは4.5号機のストック機たちです。
- 遊び人=最近はゴルフばかり
- 瞬間風速ならコンチ4Xや金太郎など4.1号機で一撃3万枚とかを何度も経験しました。その当時はトータルではボロ負けで年間300万ぐらい負けて借金を背負いましたねw
スロットも人生も、いろいろと反省して手堅く期待値を計算するようになってから勝てる好転しました。楽しかったのは4.1号機時代ですが、しっかり稼いだのは4.5号機時代、安定した小遣い稼ぎとして私生活とのバランスも良く稼げたのは5号機リプパン外し(「りんぐにかけろ」や「スパイダーマン」など)の頃ですね。
スロマック:
クランキーコンドルが出てから
ハズシが浸透するまでの間が一番でした。
当時は信じられないほど高設定が使われており
ハズシも浸透するまでに時間がありましたので
座れれば勝てるような時代でした。
ハズシが浸透してからはほぼベタピンでの
営業になりましたが、コツコツ毎日打てば
トータルのプラスは望めました。
あきせ:
ゴッド凱旋の自分がデビューした月にその月は負けた記憶が二回くらいしかない。
一昨年だったかなぁ?
ウィルチャックウィルチャクソン:
自分はタコスロが発売当初の頃ですね。
裏モノ、タコスロ、ニューパル、クランコで立ち回ってました。
この頃はだいたい平均して40~50でしたね。
裏モノは、コンチIII、C51、VIGOR、ペガサスエクサ、ガルフ、リズム、パピードッグなど。
少なかったですが、ハナビ、サンダーの裏モノも車で30分の所にあったのでたまーに小突いてました。
個人的に沖スロの裏モノは苦手でした。
爆裂AT時代は、勝ち額は凄まじいですが負けも相当だったのであまり良い思い出はありません。
tomotan20181920:
4号機時代は機械割119%の6が普通に毎日使われるホールがたくさんありました
ガセイベントも多かったですが全台56確定!!!みたいな感じで実際はシマに5と6が一台ずつみたいな感じだったから今のどこ見ても1しかないわみたいな状況よりだいぶマシでしたね
朝イチ常連は全台56シマ無視して沖スロにダッシュしてましたからね!