3レースまでは2連複のみ発売で4レース以降でないと連単買えなかった時代があったと思いますがどのくらい昔だったでしょうか。
因みにホームプールは大村で口頭で穴場から買え、マークシートでは無い注文表みたいなペラペラの紙で舟券購入していた記憶があります。大村だけ?
回答
Tak:
2000年に住之江チャレンジカップで最初に3連勝式が導入される以前は3レースまでが2連複、4レース以降が2連単、加えて全レースで単勝と複勝がありました。
自分のホームは蒲郡や常滑ですが1-2から6-5まで30通りの表が書かれた紙に購入金額を書いて窓口に渡すか口頭で伝える方式なので、この表の紙が注文表にあたります。たぶん全国様式こそ異なるものの同じ方法だったと思います。
その前は単勝複勝と6レースまでが2連複、7レース以降が2連単の時代もありました。
さらに昔になると1-2から6-5まで30の窓口があり1目ずつ買う方式でした。(その頃の経験は自分にはありませんので聞いた事がある程度の知識ですが)
さらに昔に遡るとオッズ表示が黒板に書かれており担当者が無線で聞いて随時書き直す形だったとも。
今の投票方式はシステムの進化により成り立っているものです。
yuu********:
はっきり覚えていないけど
平成の初期までではないですか、そのころまでは一日の連単レースの数を規制していたんですよね
規制した理由は連単は射幸心をあおるから良くないという理由だったと思います、たぶん一日6レースまでだったと思います。
さすらいの老猫:
昭和40年代は窓口は一つの目しか売ってなくて
何種類も買う時は自分の買いたい目の窓口に並ばなければいけなかった
人気の目は販売窓口を多くして売っていたな
kiy********:
ほんの20数年前まではそうだったよ。
だから、対岸に2連単の表示しか出ない電光掲示板が結構な競艇場で現役で残ってる。
因みに、マークシートが最後に導入されたのが桐生。
僕は平成生まれのHey!Say!JUMPなので詳しくは知らないけどお爺ちゃんに聞いた話だと昔は窓口で買いたいレースと番号を伝えるとおばちゃんがペラペラの紙にパンチを打って舟券を発行していた時代もあったそうです(๑˃ ᴗ˂ )
お爺ちゃんは九州の人間じゃないので大村だけではないですね,
x:
昭和63年頃は間違いなく
前半レースは連複(連勝複式)
でした。
m(__)m,
ボス鳥居山:
いえいえ宮島児島徳山あたりも同じでした!口でおばちゃんに12 15とか言って打って発行してもらってました!2連複の限定はおそらく90年代中盤頃まででは
Tak:
2000年に住之江チャレンジカップで最初に3連勝式が導入される以前は3レースまでが2連複、4レース以降が2連単、加えて全レースで単勝と複勝がありました。
自分のホームは蒲郡や常滑ですが1-2から6-5まで30通りの表が書かれた紙に購入金額を書いて窓口に渡すか口頭で伝える方式なので、この表の紙が注文表にあたります。たぶん全国様式こそ異なるものの同じ方法だったと思います。
その前は単勝複勝と6レースまでが2連複、7レース以降が2連単の時代もありました。
さらに昔になると1-2から6-5まで30の窓口があり1目ずつ買う方式でした。(その頃の経験は自分にはありませんので聞いた事がある程度の知識ですが)
さらに昔に遡るとオッズ表示が黒板に書かれており担当者が無線で聞いて随時書き直す形だったとも。
今の投票方式はシステムの進化により成り立っているものです。
yuu********:
はっきり覚えていないけど
平成の初期までではないですか、そのころまでは一日の連単レースの数を規制していたんですよね
規制した理由は連単は射幸心をあおるから良くないという理由だったと思います、たぶん一日6レースまでだったと思います。
さすらいの老猫:
昭和40年代は窓口は一つの目しか売ってなくて
何種類も買う時は自分の買いたい目の窓口に並ばなければいけなかった
人気の目は販売窓口を多くして売っていたな
kiy********:
ほんの20数年前まではそうだったよ。
だから、対岸に2連単の表示しか出ない電光掲示板が結構な競艇場で現役で残ってる。
因みに、マークシートが最後に導入されたのが桐生。
コロ助ガソリンマン:
僕は平成生まれのHey!Say!JUMPなので詳しくは知らないけどお爺ちゃんに聞いた話だと昔は窓口で買いたいレースと番号を伝えるとおばちゃんがペラペラの紙にパンチを打って舟券を発行していた時代もあったそうです(๑˃ ᴗ˂ )
お爺ちゃんは九州の人間じゃないので大村だけではないですね,