吉岡・神山の時代に競輪をやっていたのですが、最近また見始める…

吉岡・神山の時代に競輪をやっていたのですが、最近また見始めるようになりました。

どうも以前ほど中部と近畿で「中部・近畿ライン」を組まなくなったように思うのですが、そんなことないでしょうか?もしそうだとしたら、何かきっかけや背景があったりするのでしょうか

御詳しい方、教えていただけると幸いです。よろしくお願いします

回答

夜烏の源次:

松本ととのえは強かったですね。


oni********:

質問者さんとは逆に吉岡が引退する数年前から始めました。

中近ラインに関しては私が始めたころから今まで「組まなくなった」という感じはしておりません。
村上(義)が「近畿ライン以外の後ろは回らない」と宣言してたのが印象的ですが、それ以外の選手はケースバイケースで連携はしてると思います。

ただ中近に関しては徹底先行タイプの自力選手の層が薄くなってきたのは事実としてありますね。
脇本も捲りが増えたし、古性は元から自在に近い自力選手だし
浅井も前での競走が減ったし、三谷も古性に近いスタイルだし
G1取った山口も自分だけみたいな感じだし、、、、
深谷の移籍も痛いですね^^;
今後は寺崎や復活してきた南(潤)の先行力に期待ですね。
魅力ある先行選手の台頭が連携のキモになると思います。


すみじろう:

質問者さんと同じような経緯を辿っているので、まったく同じような感想を持ちます。
近畿の縦並びという言葉もあるくらい、近畿に自力屋が充実してきた感があります。それが理由ですかね?

その自力屋は、中部組むとカマシ・まくりですね。(ま、このカマシという戦法がいかにも近代競輪ですが、、、。それはまた別の話)


mak********:

私は64期のデビュー時頃に競輪を始めたので、質問者さんと同時期かもしれませんね。
で、その頃のことを思い返してみると、当時の中部・近畿ってかなりの低迷期じゃなかったかなって思うんです。特に近畿の先行力不足は深刻だったんじゃないですかねぇ?郡山久二(55期大阪)なんて楽して走っているイメージがないですし、当時の先行もせいぜい金田健一郎(60期大阪)くらいしか思い出せません。
やがて中部は山田裕仁(61期岐阜)や海田和裕(65期三重)などが台頭し、近畿も山本真矢(65期京都)の一本立ちから徐々に双方の選手層も充実してきて、中近連携もそれほど必要性がなくなってきたんじゃないでしょうか。
いつごろだったか忘れましたが浜口高彰(59期岐阜)が特別優勝時に「これからは中部でタイトルをたらい回しにします」と言ったのを今でも覚えています。彼も中部地区不遇の時代と近い将来の黄金時代を夢見て発言をしたのだと思います。

    sak********

    郡山以外にも、中武とか松本整とか、近畿のマーク屋は常に足場に苦労していた印象があります。山本真也の後ろで吉岡と神山が競っていたのを思い出しました。


cac********:

中近ラインは普通にあります。ただし、グレードレース決勝だと、4月以降で中部と近畿が残ったのは3回だけ、うち2例は中部1人が山口拳矢なのでラインを組むより単騎という形です。
残る1例の4月の四日市ナイターG3で、中部・浅井と近畿・渡辺十夢がラインを組んでいます。

    sak********

    たとえば今日の名古屋の特選なんて三谷が山口拳矢に付ければいいように思うのですが、これは何か背景的なものがあるんでしょうか?

ねこすけ:

コロナになるまで、記念の最終日にやっていた「S級ブロックセブン」では中部と近畿の2人でライン組んでましたし、村上義弘が引退前に同じ開催に参加した山口拳矢が「後ろについてくれないかなぁ」とボソっと言ったら初日特選で本当に村上が山口の後ろについたりした(そのレースでは近畿の機関車はおらず、あとは兵庫の松岡だけ)ので、組まないことはないですよ。

    sak********

    なるほど、ありがとうございます


tosos:

昔からラインを組むというより、どちらも作戦会議で組むというより後ろに付くの方が多かっ様に思います。それは現在も変わってないですよね。

    sak********

    なるほど。あんまり変わってない訳ですね。ちょっと思ったのですが、吉岡・神山の頃は東京(立川や西武園)で競輪を見ていました。なので中部・近畿は基本的に遠征勢として出場していたので、すごくラインを組んでいたような印象を持っていたのかもしれません。ありがとうございました

夜烏の源次:

松本ととのえは強かったですね。


oni********:

質問者さんとは逆に吉岡が引退する数年前から競輪始めました。

中近ラインに関しては私が始めたころから今まで「組まなくなった」という感じはしておりません。
村上(義)が「近畿ライン以外の後ろは回らない」と宣言してたのが印象的ですが、それ以外の選手はケースバイケースで連携はしてると思います。

ただ中近に関しては徹底先行タイプの自力選手の層が薄くなってきたのは事実としてありますね。
脇本も捲りが増えたし、古性は元から自在に近い自力選手だし
浅井も前での競走が減ったし、三谷も古性に近いスタイルだし
G1取った山口も自分だけみたいな感じだし、、、、
深谷の移籍も痛いですね^^;
今後は寺崎や復活してきた南(潤)の先行力に期待ですね。
魅力ある先行選手の台頭が連携のキモになると思います。


すみじろう:

質問者さんと同じような経緯を辿っているので、まったく同じような感想を持ちます。
近畿の縦並びという言葉もあるくらい、近畿に自力屋が充実してきた感があります。それが理由ですかね?

その自力屋は、中部組むとカマシ・まくりですね。(ま、このカマシという戦法がいかにも近代競輪ですが、、、。それはまた別の話)


mak********:

私は64期のデビュー時頃に競輪を始めたので、質問者さんと同時期かもしれませんね。
で、その頃のことを思い返してみると、当時の中部・近畿ってかなりの低迷期じゃなかったかなって思うんです。特に近畿の先行力不足は深刻だったんじゃないですかねぇ?郡山久二(55期大阪)なんて楽して走っているイメージがないですし、当時の先行もせいぜい金田健一郎(60期大阪)くらいしか思い出せません。
やがて中部は山田裕仁(61期岐阜)や海田和裕(65期三重)などが台頭し、近畿も山本真矢(65期京都)の一本立ちから徐々に双方の選手層も充実してきて、中近連携もそれほど必要性がなくなってきたんじゃないでしょうか。
いつごろだったか忘れましたが浜口高彰(59期岐阜)が特別優勝時に「これからは中部でタイトルをたらい回しにします」と言ったのを今でも覚えています。彼も中部地区不遇の時代と近い将来の黄金時代を夢見て発言をしたのだと思います。

    sak********

    郡山以外にも、中武とか松本整とか、近畿のマーク屋は常に足場に苦労していた印象があります。山本真也の後ろで吉岡と神山が競っていたのを思い出しました。


cac********:

中近ラインは普通にあります。ただし、グレードレース決勝だと、4月以降で中部と近畿が残ったのは3回だけ、うち2例は中部1人が山口拳矢なのでラインを組むより単騎という形です。
残る1例の4月の四日市ナイターG3で、中部・浅井と近畿・渡辺十夢がラインを組んでいます。

    sak********

    たとえば今日の名古屋の特選なんて三谷が山口拳矢に付ければいいように思うのですが、これは何か背景的なものがあるんでしょうか?